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近代以前の「通信」を知り、現代の便利さを思い出す(1)

近代以前は、道路が交通と通信ネットワークを兼ねていた

ここで、近代以前の情報を運ぶ手段、つまり「通信」についても触れておきます。

そもそも、「通信」とは何でしょうか? 通信とは、情報伝達のうち、直接会って情報を伝えるのではなく、遠方にいる相手に何らかの手段を使って情報を伝達することを意味します。

誰かに何か情報を伝えたいとき、相手が近くにいるならば直接話しかけますよね。では、もし相手が近くにいない場合はどうしますか?

現代ならば、相手の携帯に電話をするか、あるいはSNSを使うでしょう。でも、携帯電話が広く使われるようになってから、まだ30年も経っていません。

ひと昔であれば、電報を打ったのかもしれません。ところが電報も、日本で普及したのは明治時代以降です。その前の時代では、手紙を書いて、誰かに運んでもらっていました。

近代以降、電子的に情報を伝えられるようになったことは、人類史上において非常に大きな進歩でした。電気通信(電信)が発明される前は、人が物理的に情報を運んでいました。

つまり、道路が交通と通信ネットワークを兼ねていたのです。電信は、交通と通信を切り離した、極めて画期的な出来事でした。

古代オリエントではアケメネス朝ペルシアが駅伝制を開始

近代以前の通信手段として、世界の多くの国々で「駅伝制」が使われていました。駅伝制は、人が「情報」を持って道を移動し、「駅」でバトンタッチすると いうリレー方式です。

広大な地域を支配する中央集権国家が成立すると、その支配を維持するために 中央と地方を安定的に、かつ迅速に連絡する手段が必要となって、さまざまな形態の駅伝制が定められました。領土が広大になれば、外敵の侵入や国内の辺境部の反乱にも速やかに対処しなければならず、駅伝制が不可欠だったのです。

古代オリエントでは、アケメネス朝ペルシア(ペルシア帝国)が、紀元前6世紀頃に駅伝制を開始しました。これは、ひとりの使者が目的地まで走った原始的な情報伝達方法とは異なる、非常に大きな変化だったと言えます。

ペルシア帝国で駅伝制を発展させたのは、ダレイオス1世でした。宿泊や娯楽施設も設けられていた中継地点=駅の駅長も経験していた彼は、駅伝制の重要性を十分に認識していました。駅長は、警察の役割を果たしていたのです。彼は帝国の主な地域を結ぶ道路のネットワーク建設に、力を入れました。よく知られている「王の道」は、ダレイオス1世の時代につくられたものです。

アケメネス朝はアレクサンドロス大王の東征によって滅び、同時にその駅伝制も幕を閉じましたが、その構想はササン朝やウマイヤ朝、アッバース朝といったオリエントに栄えた国々に引き継がれていったのです。

このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の2作目

『仕事に役立つ、日本人のための情報の世界史』(かざひの文庫)のリンクはこちら

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