「通信自由化」前の日本の体制について
日本の通信において非常に大きかった出来事は、いわゆる「通信の自由化」、 すなわち1985年(昭和60年)の日本電信電話公社(電電公社)の民営化、つまり日本電信電話株式会社(NTT)の発足です。ここから、日本の通信は加速度的に発展します。「通信の自由化」後の通信の歴史を解説するにあたって は、「民営化前」がどうだったのかも知っておく必要があるでしょう。
ここで、明治から第二次世界大戦後、日本電信電話公社(電電公社)や国際電信電話株式会社(KDD)の発足に至るまでの流れについて、概略をお話ししておきます。
戦後、1985年まで続いた「独占」体制
1885年(明治18年) 12月の内閣創設の際、「逓信省」が発足しました。ここで、近代国家のための社会基盤整備と殖産興業を推進した中央官庁「工部省」から、電信局などを承継しました。
その後1943年(昭和18年)に、戦争中の海陸輸送体制強化を図るため、逓信省と鉄道省を統合して「運輸通信省」となりました。電信や電話の事業は、同省の外局である「通信院」が所管しましたが、戦後間もなく「逓信省」が再設置 されました。
なお、第二次世界大戦終結までは国際通信設備の建設や保守を業務とする国策会社「国際電気通信株式会社」というものがありましたが、GHQによって解散 させられて、逓信省に移管されました。
そして1949年(昭和24年)、マッカーサーからの書簡による「郵電分離」の勧告にもとづいて、逓信省は郵政省と電気通信省に分かれたのです。
電気通信省は、国内・国際電気通信業務を所管することになりました。
その後、国内電気通信業務は1952年(昭和27年)発足の電電公社が、国際電気通信業務は1953年(昭和28年)発足の民間会社であるKDDが受け持つこととなり、電気通信省は解散となったのです。国際電信電話事業が民間の会社に委ねられたのは、海外の通信事業者との交渉や設備拡充資金の確保などを、国内通信設備の復旧に忙しい公社に任せるのは心もとなかったこと、交渉相手がグレートノーザン電信会社などの民間企業だったことなどが理由のようです。もっとも民間とは言っても、郵政省に影響を強く受ける、極めて公社に近い会社として位置づけられていました。
1985年(昭和60年)の通信自由化まで、このような体制で日本の通信事業は動いていくことになります。
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