同軸ケーブルから光海底ケーブルの時代へ
1970年代に入ると国際通信量の増加が顕著になり、同軸ケーブルでも限界があることが明らかになってきました。そんななか、1970年にアメリカのコーニング社が開発した光ファイバーに大きな期待が集まりはじめます。
光ファイバー通信は、直径1ミリ以下の細い石英ガラスにレーザー光を通すことで通信を行う方法です。大容量の通信が可能であるうえ、電信で使われた銅線のような信号の減衰も少なく、材料も安いものでした。
ところが、光ファイバー通信を実用化するためには、中継器に使われる半導体レーザーの開発やもろいファイバーを水圧のかかる海底で長期間使えるようにするといった問題解決が必要でした。
TCP 1のときはアメリカの技術に頼るしかありませんでしたが、日本は光 ファイバー開発で欧米に遅れを取るまいと、電電公社を中心に住友電工、古河電 気工業(株)、藤倉電線(株)(現、(株)フジクラ)との光ファイバー共同研究が組織され たのです。「日本連合」と呼ばれた協力関係でした。
TCP1とTCP2の通信量が満杯になるなか、各国の通信事業者は 1978年に同軸ケーブルによる第三太平洋横断ケーブル(TCP 3)などの 設置に合意しました。ところが、アメリカの連邦通信委員会が衛星通信との兼ね 合いで難色を示したため、この計画は一旦ストップします。
その後、AT&T社とKDDは1988年(昭和 年)の開通をメドに光ケーブル方式によるTCP3などに合意。各国の話し合いにより、ハワイ~グアム~日本というルートとなり、ハワイ~グアムはアメリカ、グアム~日本は日本の技術が採用されたのです。
アメリカとの政治的なやり取りもあったと思いますが、日本の光通信に関する技術が世界トップレベルであったことの結果ではないでしょうか。
そして、1989年(平成元年)4月、千葉県千倉町からグアムを経由してハワイに陸揚げされるTCP 3が開通しました。
なお、TCP1やTCP2などの同軸ケーブルは、現在は当初の役割を終えて、地震研究などに転用されているそうです。
光海底ケーブルの進化で、国際通信の99%がケーブル経由に
初期の光海底ケーブルは、途中で減衰した光信号を中継器で一旦電気に変換していましたが、KDDとAT&T社の共同開発により、電気に変換することなく増幅する光直接増幅装置が開発されました。この開発によって、通信容量が大幅にアップすることになります。
その後の技術革新によって、光海底ケーブルの容量は飛躍的に増加していきました。いまでは、国際間の通信の99%がケーブル経由になっていると言われています。
このように、国と国を隔てていた海は光海底ケーブルによって最良の伝送路へと変わり、国際通信料金の低廉化にも大きな役割を果たしました。
そして、インターネットの普及によって、国際間の情報のやり取り飛躍的に容易となったことは、皆さまもご存知のところでしょう
このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の処女作
『古代から現代までを読み解く 通信の日本史』(かざひの文庫)
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