室町時代に引き継がれなかった鎌倉時代の駅制
鎌倉幕府が滅亡したあとは、皇位の正当性を巡る吉野の南朝と京都の北朝の対立(南北朝の動乱)が60年続きました。
南北朝の動乱を鎮めたのは、足利尊氏の孫であった足利義満です。
そして、室町幕府が成立しました。
室町幕府を開いた足利氏も、京都と鎌倉公方を置いた鎌倉との交通通信のネットワーク維持は重要視していました。でも、残念ながら室町幕府の勢力は鎌倉幕府に比べれば脆弱でした。最盛期であっても、幕府が掌握していたのは京都を中心とした数国にすぎません。それ以外の地域を掌握していたのは、守護大名でした。
室町幕府の通信ネットワークが完全に機能していた範囲も、京都周辺の地域だけ。もちろん庶民が使えるような開かれた通信システムなどはありませんでした。
つまり、鎌倉幕府が復活させた駅制は室町幕府には引き継がれず、崩壊しました。
全国的な飛脚のネットワークが確立するのは、江戸時代からだったのです。
このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の処女作『古代から現代までを読み解く 通信の日本史』(かざひの文庫)のリンクはこちら。