女子高生が公衆電話に並んだ「ポケベル」
1990年代の前半は、携帯電話は多くの人にはまだ遠い存在であり、「ポケベル(ポケットベル)」が主流の時代でした。ポケベルは、当時は職場や自宅で なければ電話ができない時代のなか、主に外回りの営業担当者を呼び出すための ツールとして使われていました。
〝ピーピーピー〟と音がなる⇒公衆電話から会社へ電話
という流れ、懐かしく感じる人もいるでしょう。このポケベル、当初 はメッセージの送信ができませんでしたが、1987年(昭和62年)に端末に数 字を表示できる機能が追加されたことから、急速に普及が進んだのです。
1993年(平成5年)には、『ポケベルが鳴らなくて』という社会現象にもなったドラマが流行ったのを覚えている人もいるのではないでしょうか。このドラマ をきっかけにして、ポケベルは女子高生にまで広がりました。 休み時間になると公衆電話に並び、「49(至急)」「4649(よろしく)」「999(サンキュー)」「114106(愛してる)」などの語呂合わせによる、思い思いのメッセージを送っていたのです。
ポケベルは、次に述べるPHSへの移行や1997年(平成9年)にNTTドコモが開始した携帯電話でのショートメールサービス(SMS)によって、すぐに返信ができる携帯電話などに移行する動きが加速。事業者のサービス撤退も相次ぎ、国内で唯一サービス提供を継続していた東京テレメッセージも2019年(平成31年)9月末に個人向けのサービスを終了しました。
懐かしい人には懐かしい、「ピッチ」
ここで「ピッチ」と呼ばれたPHS(Personal Handy Phone System)についても触れることにしましょう。 PHSのサービスが始まったのは、1995年(平成7年)。広いエリアをカバー できる電波を基盤としていた携帯電話とは異なり、PHSは一般電話回線から専 用アンテナを介して通信を行うものだったため、一つの基地局がカバーする通信 の範囲は半径500m程度の狭い区域に限定されていました。 でも、インフラを構築するコストが低かったため、携帯電話よりも安い料金で 提供できたこともあり、とくに若年層で広まりました。
ところが、思ったほど基地局の整備が進まず、都市部でも圏外となるエリアが 多かったこと、携帯電話の料金が下がり、多機能化も進んだことで、契約数は減 少していくことになります。 2021年(令和3年)1月末、テレメトリング(遠隔地にある計測器などの データを収集するシステム)などを除いた一般的なPHSサービスは終了しました。 ポケベルやPHSが淘汰されていったことは、時代や技術の変化による栄枯盛 衰を感じます。寂しくもありますが、これも世の常なのかもしれません。
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