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携帯電話の萌芽

「大阪万博」で「ワイヤレステレホン」が発表された

まず、電話線とつながっていない「ワイヤレステレホン」が発表されたのは、 1970年(昭和45年)に大阪の吹田市で開催された「大阪万博」でした。当時の電電公社が「未来の電話」として展示したワイヤレステレホンを、このパビリオンを訪れた人たちが体験したのです。  このとき、ボタンを押すときに人差し指ではなく親指を使う傾向があるという 点が、先々の携帯電話開発のヒントになったと言われています。

そして携帯電話の前身となったのは、1979年(昭和54年)に東京23区内で電電公社がはじめた自動車電話サービスです。自動車に設置したアンテナで、自動車のバッテリーを電源としていました。このときは電話を車の外へ持ち出すことはできませんでしたので、まだ「携帯」とは言えないものでした。

最初の携帯電話は、重さ3キログラム!

そして1985年(昭和60年)、電電公社から民営化したNTTが、はじめて 自動車の外へ持ち出しができる車外兼用型自動車電話「ショルダーフォン100 型」のサービスを開始しました。発売前に発生した日航機墜落事故の救助活動でも活用されたそうです。

このショルダーフォン、普段は車に搭載しておき、必要なときには肩掛けがついた端末を持ち歩くスタイルでした。なんと重さは3キログラム! まだバッテリー性能が低く、連続通話時間は約40分だけ。

それだけではなく、本体の価格が保証金約20万円(当時はまだレンタルでした)、通話料金が1分で100円、月額の基本料金が2万円以上と非常に高額でした。

これだけのコストをかけて使う人はほんの一部であり、あまり普及はしませんでした。

初めてハンディタイプの携帯電話が登場したのは1987年(昭和 年)です (TZ 802型)。ショルダーフォンと比べれば多少コンパクトにはなりまし たが、重さは約900グラム。連続通話時間は約60分でした。

1988年(昭和63年)には、KDDIの前身であるIDO(日本移動通信) が東京 区で携帯電話サービスを開始し、NTTの独占が崩れます。日本経済が バブルの絶頂だったことも相まって、携帯電話の文化が花開いていくことになり ました。

1990年代に入り、携帯電話のスリム化が進んでいきます。1991年(平成3年)にはNTTがムーバを発表して、わたしたちが見覚えのある形に近づいていきました。

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