「日本建国」は、西暦701年(大宝元年)ではないか
今回は、前回までのテクノロジーの話とは打って変わり、8世紀まで戻ります。
わたしは歴史学者ではありませんが、「歴史好き」として、日本の建国について持論を述べたいと思います。
日本は「連続して現在まで続く最古の国家」であると言われていますが、その建国はいつだったのでしょうか。
日本の「建国記念の日」は2月11日で、戦前は紀元節と呼ばれていました。
これは、わが国最初の正史である『日本書記』において、西暦紀元前660年元旦に神武天皇が初代の天皇に即位したと記されていることにちなんで、その日を近代の暦に換算して制定したものです。
歴史学者によれば、初期の天皇の統治期間は大幅に延長されているようですし、書いてあることが事実かを確かめることもできません。
では、事実としての日本国の建国の年はいつでしょうか?
わたしはそれを、西暦701年(大宝元年)の大宝律令制定の年だととらえています。なぜなら、この年に日本の国号と天皇の君主号と大宝の年号との3つが正式に揃い、当時の東アジア世界における主権国家としての条件である律令国家として成立したからです。
日本の国号と天皇の君主号は、国内的にはもう少し前から使用されたかもしれませんが、国際的に正式に告示したのがこの年なのです。
また、年号は645年の大化が最初の年号とされていますが、のちに年号は使われなくなり、701年の大宝から現在の令和まで連続して年号が使われています。
つまり、事実上日本の年号は大宝から始まっているのです。
「神武建国」ももちろん大切
わたしは、神武建国の年を否定しているわけではありません。民族にとって神話や伝説はとても大切であり、「建国記念の日」も大切にすべきだと考えています。 また、事実上の建国を701年としたとしても、前身となる国家はその数百年前 から存在しており、王統や国家体制も断絶しているわけではなく、あくまでも連続しています。
それでもやはり、701年を事実上の建国の年とするのは、現在に続く日本国家の根本がこの年に成立したと考えるからです(厳密には、7世紀までは倭国であって日本国ではないのです)。
このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の処女作『古代から現代までを読み解く 通信の日本史』(かざひの文庫)のリンクはこちら。