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江戸時代(1) 近世宿場制度の成立

進められた「五街道」の整備

今回から、江戸時代の通信についてお話しします。

1603年の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が江戸に幕府を開き、以後 265年間、幕府中心の政治が行われるなかで、近世日本が築かれていきました。

この時代、農業生産の増加や各藩の奨励による地方の特産品の生産拡大、卸しや輸送の整備によって、一大消費地になった江戸や大阪にはさまざまな商品が集まりました。そして富が蓄積し、元禄や文化文政の文化が開花したのです。

江戸時代の政治・経済・文化の活動は、高度にネットワーク化された飛脚による情報伝達網によって支えられていたと言っても過言ではないでしょう。

徳川家康も織田信長や豊臣秀吉の交通政策を引き継いで、江戸を中心とした街道整備を急速に進めました。街道の整備は「通信ネットワーク」の形成も意味しており、幕藩体制の維持に欠かせないものになりました。

これは、それまでの京都中心の交通体系からの脱却を意味し、江戸時代に整備された街道は東京中心の近代日本の礎となったのです。

そのなかでとくに重要だったのは、

・江戸と京都を結ぶ「東海道」

・江戸と高崎、下諏訪、大津を結ぶ「中山道」

・江戸と宇都宮、日光を結ぶ「日光道中」

・宇都宮と白河を結ぶ「奥州道中」

・江戸と甲府、下諏訪を結ぶ「甲州道中」

の「五街道」と呼ばれるものでした。

 

このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の処女作『古代から現代までを読み解く 通信の日本史』(かざひの文庫)のリンクはこちら

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