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近代郵便制度のスタート(2)

「郵便の父」前島密

今回も、郵便制度の話です。

郵便制度の創設について前島密に白羽の矢が立ったのは、彼が全国各地を旅行 していた経験によって、街道筋の地形や宿駅の状況に精通していたという背景が あったようです。  最初は、郵便事業を国営にしようとは考えていなかったようです。なぜなら、 新政府では資金負担に耐えられないだろうと考えていたからです。

ところが、彼が目にした政府の毎月の通信コストと照らし合わせると、それだけの金額があれば政府が郵便を運営できると判断。実際に、書状の通信にかかるコストと取り扱う書状の件数、そこから生じる料金収入などの試算を行った結果、

運営が十分に可能であること、将来に向けた投資資金を確保できることなどの確証を得たのです。

前島密という人物が、とても知恵に溢れた人だっただろうと思われてくれるエピソードではないでしょうか。

日本の郵便制度は、江戸時代の宿駅制度における継飛脚などのシステムを再利用することで創出されたものという説が有力で、鉄道や電信といった西洋から輸入された「舶来品」とは異なるというのが現在の通説になっています。

「郵便」という名称についてもひと言添えておきましょう。飛脚制度を再編した ものなので、「飛脚便」などと呼ぶ案もありましたが、新しい時代の・新しい制 度として普及し、旧来の「飛脚」との違いを強調したかったという背景もあり、 呼び方を変えたようです。

ただ、「郵便」という言葉自体は明治以降にできたものではなく、江戸時代か らも使われることがあったと言われています。

ちなみに、全国均一料金制が導入された1873年(明治6年)3月の太政官布告では、郵便が国家の独占事業となったことも記されています。

これは、富国強兵や殖産興業を強く推し進めていくためには安い料金で全国に手紙が届く制度が不可欠であり、そのような事業の運営を民間企業に任せるのが難しいという考え方があったからでしょう。

十数年という短い期間で、どこでも同じ料金で郵便のサービスが受けられる体制ができあがったことは、江戸時代の飛脚制度を再利用したとは言え、驚異的なスピードだったと言えるでしょう。

尽力した当時の人たちの知恵や苦労を考えると、頭が下がります。

このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の処女作『古代から現代までを読み解く 通信の日本史』(かざひの文庫)のリンクはこちら

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