通信の自由化が行われた背景
若い人は、NTTがほぼ国営企業だったことをご存じないかもしれませんね。戦後、NTTの前身である日本電信電話公社(電電公社)は極めて国営に近い公社として、国際電信電話株式会社(KDD)は公社に近い特殊会社として、電気通信事業を独占してきました。
独占体制が採られたのは、同地域に複数のネットワークを敷設することは非効率であり料金水準が高くなってしまうこと、膨大な設備投資が必要な通信事業で競争が行われると共倒れになる可能性があることが主な理由でした。
そもそも電電公社が発足してからの当面の目標は、積滞(電話サービスへの加入を長期間待たされる状態)の解消でした。そして長期計画の実行の末、積滞は1978年(昭和53年)にやっと解消されました。
この頃から、光ファイバーやマイクロ波回線、通信衛星等の新技術の実用化により、通信事業が独占状態である必要性が弱まり、新たなサービスへのニーズも高まってきました。
一方で当時の日本経済は、1973年(昭和48年)のオイルショックをきっかけとする経済成長の鈍化に伴い財政状況が悪化していました。
そこで政府は赤字国債の発行による財政出動で景気の安定化を試みたため、巨額の財政赤字が発生。1980年代に入ると、オイルショック後の産業構造の変化による財政政策の見直しが行われ、そこで積みあがった財政赤字が問題視され「増税なき財政再建」が要求されるようになりました。
そこで第二次臨時行政調査会の答申に基づいて、行政改革の一環として日本電信電話公社を含む政府直営事業三公社の民営化の方針が決定したのです。方針の 骨子には、「競争原理」がありました。
通信自由化による競争原理の導入が、通信の飛躍的な発展に
この「通信自由化」を主導した法案は3つありました。それは、1.NTTの企業活動を規定した「日本電信電話株式会社法」 2.電気通信事業の枠組みを定めた「電気通信事業法」 3.「関係法律の整備等に関する整備法」 の「電気通信改革3法」と呼ばれるものであり、1984年(昭和59年) 12月に可決・成立しました。この法律が施行された翌年4月に通信自由化がスタートして、日本電信電話株式会社(NTT)が発足したのです。
2.の電気通信事業法の成立によって廃止になった「公衆電気通信法」では、国内は電電公社、国際において国際電信電話株式会社(KDD)が独占的に事業を提供することを規定していました。
ところが、電気通信事業法の成立で競争原理が導入され、今後の通信の高度化に柔軟に対応した多様なサービスが提供されるような制度が導入されたのです。
具体的には、電気通信事業を電気通信回線設備の設置の有無に応じて第一種と第二種に分けて、第一種電気通信事業へ参入には許可制を採用して、主要な料金について認可制とする一方、第二種電気通信事業については登録又は届出による参入を可能とし、料金規制は設けないというルールになりました。
通信市場に競争が導入された結果、長距離系の第二電電株式会社(DDI)・ 日本テレコム株式会社・日本高速通信株式会社、衛星系の日本通信衛星株式会社 及び宇宙通信株式会社、そして国際系の日本国際通信株式会社(ITJ)及び国 際デジタル通信株式会社(IDC)などが、第一種電気通信事業(NCC)として参入をしました。
この「通信自由化」以降、ご存知の通り通信の世界は飛躍的に発展していきます。とくに重要なものは、インターネットと携帯電話でしょう。
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