日本における電話機の導入
前回お話しした、ベルが電話を発明した翌年1877年(明治10年)、ベルの電話機2台が日本へ輸入されました。この電話機で工部省(NTTの前身)と宮内省が公開実験を 行い、成功に終わりました。
逓信省(当時)による本格的な電話業務が始まったのは、1890年(明治23年)でした。でも電話機の普及のテンポは遅く、1937年(昭和12年)の日本の電話加入数は98万人、電話機は119万台で、人口1000人あたり17台に過ぎませんでした。これはアメリカやイギリス、ドイツなどと比べても、非常に低い数字です。
普及が遅れたのは、回線設備が限られていたため、官公庁などが優先されて、 一般家庭が後回しにされたからです。この時期に、電話がある家庭は、一部の上流階級に限られていたのでしょう。
戦後になってもしばらくは設備が追いつかず、電話を引くまでにはかなりの時間待たされたようです。
電話は「交換手」から始まり、「自動交換機」へ
ところで、いまは固定電話にしても携帯電話にしても、電話番号にかければ相手に直接つながりますよね。ところが、初期の電話サービスはそのようなものではありませんでした。
では、当時はどのように電話がつながっていたのかと言うと、電話と電話の間に「交換手」と呼ばれる人がいて、その人が電話を相手につなげてくれることで、電話をすることができたのです。
簡単に言えば、交換手に
「Aさんへつなげてください」
と告げることで、交換手はAさんにつなげてくれるしくみでした。ですから、初期の電話にはダイヤルがありませんでした(若い人からすれば「ダイヤルって何?」と思うかもしれません。いまはスマホの画面に映るボタンですね)。
電話の加入者数がまだ少なかった頃には交換手による取り次ぎも可能でしたが、加入者数や利用回線が増えると、交換手による取り次ぎが追いつかなくなりました。
このような背景から、1926年より徐々に「交換手」に代わる「自動交換機」が導入されていったのです。自動交換機で相手につなぐためには電話番号が必要 になり、そこではじめてダイヤルがついた電話機が登場することになりました。
1952年(昭和27年)に日本電信電話公社(電電公社)が発足した当時、市内通話は交換機で自動的につながるようになりましたが、市外通話はまだ交換手による接続が必要でした。
市外通話が交換手を介さずに利用できるようになったのは、県庁所在地級の都市では1967年から、全国に広まったのは1978年からでした。まだ50年も経っていません。意外と最近のことだったのですね。
ところで、電話の自動交換機を発明したのは、じつはアメリカのカンザスシティにあった葬儀屋さんだったという話があります。
あるとき商売がうまくいっていないことを不審に思ったその葬儀屋さんがいろいろ調べてみると、同業者が電話交換手を買収してお客さんからの注文をすべて自分のところにつながせていたことがわかりました。 激怒した葬儀屋さんは、電話局から交換手を締め出すために、自動交換機の開 発を始めたのでした。
このような経緯で完成した交換機は日本にも輸入され、昭和40年代まで主力交換機として活躍する大ヒット商品になったそうです。
ウソのような話ですが、怒りに任せて始めたことを成果につなげた根性は、ある意味賞賛に値しますね。
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