ヨーロッパでは、木版印刷はすぐに活版印刷に取って代わられた
アジアで発明されていたヨーロッパに木版印刷が伝わったのは、14世紀末から15世紀はじめだったと言われています。
この頃のヨーロッパで木版印刷されたものとして忘れてはいけないものは、「免罪符」です。免罪符はカトリック教会が罪の赦しを保証するもので、はじめのうちは寄付の見返りとして発行されていたのですが、教会は徐々に財政立て直しの ために乱発するようになりました。
最初のうちは僧侶が書写していた免罪符が、木版印刷で大量につくられるよう になったのです。
ところが、この免罪符の乱発は教会の腐敗に不満を抱く市民を増やすことになり、ルターらによる宗教改革の原因となっていきました。
ヨーロッパに製紙法が伝わり、そして使われるようになった木版印刷ですが、程なくしてグーテンベルクの活版印刷によって短い歴史に終わってしまいました。
活版印刷は、すでにお話しした通り、宋代の中国で発明されたものの、活字の数が膨大なために、中国や日本では定着しませんでした。
一方でこの活版印刷は、1450年頃からドイツのグーテンベルクによってヨーロッパに広められていくことになります。発明としては、たしかに中国のほうが 先なので、グーテンベルクを活版印刷の発明者と言っていいのかは何とも言えませんが、歴史的なインパクトが非常に大きかったことは間違いありません。
グーテンベルクの活版印刷には、その後の発展を決定づける要素がありました。
それは、鉛と錫などの合金で、低温で溶解し、誰でも簡単に鋳造できる鉛活字を使ったこと、中国などの活版印刷のように手作業ではなく、印刷機を利用したために大量印刷を可能としたことです。
このような要素が、500年以上未来に暮らすわたしたちにも届く大きな功績となっているのでしょう。
活版印刷による知識の広がりにより、ヨーロッパは近代化へ進んでいった
このグーテンベルクの印刷術は、ヨーロッパ社会を変えていくことになります。
それまでは一部の僧侶や貴族だけに受け継がれてきた文字文化が、印刷によって書物の形として多くの人の目に触れるようになり、人々の知識となり、意見を主張することにつながりました。
印刷は、宗教改革にも大きな影響を与えました。
改革を主導したルターの論文が印刷によってドイツ国内に流布され、ルターは多くのドイツ国民の支持を受けることに。
これまで一部の人にしか理解できなかった聖書も、ラテン語ではなく各国語に翻訳され、印刷されることで、大量に広がっていったのです。
グーテンベルクの印刷術によって大量印刷が可能となったことで、印刷は思想を伝え、社会を動かしていく役割を担っていくことになります。そして、ヨーロッパは急速に近代化へと進んでいきました。
やはり、発明者かどうかは関係なく、歴史的なインパクトで考えれば、グーテンベルクの印刷術の果たした役割は非常に大きかったと言っていいでしょう。
このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の2作目
『仕事に役立つ、日本人のための情報の世界史』(かざひの文庫)
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