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江戸時代(4) 災害情報を伝えた飛脚

テレビなどのない時代、飛脚の役割は大きかった

1854年(嘉永7年)の 月に、東海・南海大地震が発生しました。当然のことではありますが、江戸時代にはインターネットはおろか、テレビもラジオもありません。

遠隔地の人たちに災害情報を伝えたのが誰かと言えば、それがまさに飛脚でした。大坂から江戸へ走った飛脚は、この地震、そして大津波の被害について詳細に伝えたという記録があります。

このように、地震や津波、火災などが発生すると、飛脚は被害情報の詳細をリレーで知らせていったのです。その情報をもとに、幕府や大名、商人たちは、炊き出しや、いまで言う仮設住宅の設置、献金や献米を行いました。

当時、現代のテレビの役割を果たしていた唯一の手段は「かわら版」という一枚綴りの書面でしたが、飛脚はこのかわら版を諸国に伝達する役割も果たしていました。

その背景としては、もちろん好奇心のようなものもあったとは思いますが、災害地における米や生糸などの収穫量、品質がどうなのかという商人たちのニーズも大きかったのです。

「かわら版」などと聞くと前近代的なイメージを持ってしまいがちですが、情報が意外とネットワーク化されたインフラの元、広く共有されていたことは注目 に値します。

「いかに早く正しい災害情報を得て、広く伝えるか」  という災害情報伝達の本質は、当時もいまも変わらないということですね。

このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の処女作『古代から現代までを読み解く 通信の日本史』(かざひの文庫)のリンクはこちら

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