戦後、同軸ケーブルで海外との回線容量が増えた
今回も、海底ケーブルのお話です。
無線電信が実用化により低下した海底ケーブル通信が再び活気を取り戻すのは、1956年にイギリスとカナダを結ぶ形で敷設されたケーブルシステムからでした。これは、AT&T社が開発したポリエチレン絶縁体などを利用した同軸ケーブルによって実用化されたものです。この新技術により、1956年に電話回線36本の容量でイギリス・カナダ間を結ぶ第一大西洋横断海底同軸ケーブルが設置されたのです。
さらに技術は進み、1964年に日本とハワイを結んで敷設された第一太平洋海底同軸ケーブルでは、日米間で128回線の提供が可能となりました。それ以降も、さらに回線容量の大きい通信システムが世界で敷設されています。
光ファイバーによる通信へ
1970代に入ると、国際通信量の増加が顕著になり、同軸ケーブルでも限界があることが明らかになってきました。そして、1970年に光ファイバーと半導体レーザーの実用化に見通しが得られたことから、1980年頃には光ファイバー通信が日欧米の国内通信において実用化されるようになりました。
光ファイバー通信は、直径1ミリ以下の細い石英ガラスにレーザー光を通すことで通信を行う方法です。大容量の通信が可能であるうえ、電信で使われた銅線のような信号の減衰も少なく、材料も安いものでした。ところが、光ファイバー通信を実用化するためには、中継器に使われる半導体レーザーの開発やもろいファイバーを水圧のかかる海底で長期間使えるようにするといった問題解決が必要でした。
これらの課題を当時の電電公社と民間企業数社との「日本連合」で解決した結果、1980年代のなかばから海底光ファイバー通信システムが敷設されはじめたのです。日本の国内用としては、1986年に八戸─苫小牧間、宮崎─那覇間に400メガビット/秒のシステムが商用化され、大陸間用としては、1988年に大西洋横断海底光ケーブルが、また1990年代に入って太平洋横断海底光ケーブルが敷設されています。
光ファイバーはさらに大容量化している
1990年代なかばになると、インターネットの商用利用がはじまり、国際通信においてもデジタル通信の需要が爆発的に増加しはじめました。そして、ひとつの芯の光ファイバーに波長の異なる多数の光信号を多重化する波長多重伝送、 中継器において電気信号に変換することなく光信号をそのまま増幅する光増幅器といった技術が実用化されたのです。
そのため、2000年頃からはそのような技術を用いて数百ギガビット/秒〜数テラビット/秒の大容量の海底光ケーブルシステムが敷設されるようになっていきました。
2010年代に入ると、波長多重に加えて光信号処理技術によって伝送効率を高め、10〜20テラビット/秒の容量のシステムが敷設されはじめました。
ここまで高速な、大容量の通信が可能となったのは、人類の叡智と関わった方々の想いのなせる業だったのではないでしょうか。これから情報の高度化やグローバル化がさらに進めば、世界を結ぶネットワークにおける情報通信量はますます増えていくでしょう。
利用させていただいている身としては、これまでの、そしてこれからの技術者 の方々に、深く感謝を申し上げたいと思っています。
このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の2作目『仕事に役立つ、日本人のための情報の世界史』(かざひの文庫)のリンクはこちら。