「末法思想」の影響で、平安時代中期に印刷のニーズが増えた
中世(世界史)における日本において、まずは製紙法が飛鳥時代の初期に朝鮮半島から入ってきて、日本独自の和紙につながっていったことは、前のコラムでお話しした通りです。
印刷に関しては、世界最古の現存印刷物である法隆寺の『百万塔陀羅尼経』をご紹介しましたが、これを最後に200年ほどの間、歴史から消えてしまいます。おそらく、まだ文字が読める人が高貴な位の人だけだったために、印刷をする必要性がほとんどなかったのかもしれません。
次に(木版)印刷が登場するのは、平安時代の中期です。きっかけは仏教界からでした。当時の仏教を支えていた貴族のニーズに応えるために、写経が広まりました。ところが、写経の数が増えて、経典を印刷する「摺経(すりぎょう)」が広まったのです。写経の増加には、お釈迦様の入滅から2001年に相当する1052年から末法の時代に入り、災厄が起きるという「末法思想」の影響もあったのでしょう。貴族たちは、阿弥陀如来の慈悲にすがろうと、浄土信仰に近づいたのです。
仮名の登場で隆盛を迎えた平安の女流文学
文字に関しては、奈良時代の『万葉集』に代表される「万葉仮名」というものが存在しました。
その後平安時代になって、日本の文字は大きな転機を迎えます。それは、「ひらがな」と「カタカナ」の登場です。平安初期に、漢字の一部をとってつくられたカタカナは、僧侶が経典に読み仮名をつけたり筆記したりするときの符号として用いられたのがはじまりです。ひらがなは、漢字の草書体である草仮名を簡略化したものです。ちなみに、「仮名」という言葉は、漢字を「真名(まな)」と呼ぶのに対して使われるようになりました。真名を使うのは男子、仮名を使うのは女子とされていました。
表語文字である漢字と表音文字である仮名の組み合わせが自由な表現を可能とし、遣唐使の廃止による国風文化の発展と相まって、日本の国文学を発展させていきました。とくに、仮名を使っていた女性の女流文学が活躍することとなったのです。
平安女流文学最盛期には、印刷のニーズがなかった
平安の女流文学の最高峰は、やはり紫式部の『源氏物語』でしょう。王朝貴族の間では、空前の大ブームとなったようです。
ちなみにこの作品ですが、印刷されたのではなく、書いたそばから次々と筆写されて、王朝貴族に配布されたと言われています。原本から数多くの書写本がつくられ、書写本をさらに書写する書写本もつくられていったそうです。原本→コピー→孫コピー、というイメージですね。
この時代には『源氏物語』以外にも、『竹取物語』『伊勢物語』といった物語、『土佐日記』『和泉式部日記』といった日記文学、『枕草子』といった随筆集も生まれ ています。
この時代の文学は、王朝貴族という一部の読み書きができる限られた人たちに読まれたものであり、印刷の需要はほとんどなかったのでしょう。書物と印刷が結びつくことはありませんでした。
世界的にも評価が非常に高い『源氏物語』と中心とした平安文学がが現在にも受け継がれているのは、ありがたいことですね。
このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の2作目
『仕事に役立つ、日本人のための情報の世界史』(かざひの文庫)
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