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古代の通信を支えた「駅制」

律令時代の「駅」は社交の場だった

前回お話しした通り、律令時代の公文書は七道をインフラとした「駅制」 のもとで運ばれました

駅制では、七道という各幹線道路に沿って駅家(やくか)を30里(約16キロメートル)ご とに設置することを基本としていました。駅家は、いまで言う「駅」に相当する ものです。もちろん、険しい山岳地帯や馬の食事となる牧草がないところは16キロメートルごとという基準の例外が認められていたようです。

いまの駅はもちろん電車が停まるところですが、駅家は当時の主な交通手段だった「馬」を停める場所でした。「駅」という漢字が馬偏なのは、その名残なのでしょう。

道のひとつである山陽道の駅家にあった施設は、中国の使節団、いわゆるVIPをもてなすために、とても豪華なものだったようです。発掘調査によって朱 塗りの柱・白壁・瓦葺きだったと判明した建築物があります。当時としてはかなりゴージャスなものだったのでしょう。

この施設は、身分の高い人たちの宴会にも使われていたとされています。

駅家は、交通機関でもあり、情報が集まる場所でもあり、VIPをもてなす場、そしてお役人さんたちの社交の場でもあったのです。

このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の処女作『古代から現代までを読み解く 通信の日本史』(かざひの文庫)のリンクはこちら

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