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律令時代の「七道」は古代の高速道路(2)

七道と現代の高速道路は類似点が多い

今回も、古代律令国家の交通・通信の要だった「七道」のお話です。

七道のルートは、現代の高速道路と一致するところも少なくありません

また、当時の通信の中継地点とも言える「駅家(やくか)」の位置が、高速道路のインターチェンジとほぼ一致しているそうです。

首都圏と主要な地域を最短距離で結ぶという意味で、コンセプトは同じだったのでしょう。

「いくら幹線道路と言っても、時代が時代だから、狭い道路だったのでは?」

と思われるかもしれませんが、じつは七道の道路幅は、狭いところでも6メートル、広いところは15メートルもあったそうです。当時の単位である「丈(約3メー トル)」を基準としており、6メートル、9メートル、12メートル、15メートルと、3メートルの倍数になっていたのです。

いかに当時の政権が計画的に、かつ人工的につくったのかがわかるのではないでしょうか。七道の総延長は、6300キロメートルにも及んだそうです。

時代を考えても、かなり大規模な国家事業だったと想像できますね。

七道は公文書を地域の要所へ運んだルートだったので、いまの言葉で言えば 「ネットワーク」に相当するのかもしれません

ITの世界では、ネットワークの安全性を確保するためには1ヵ所が壊れてもどこかに迂回路が設けられている必要があります。じつは七道には、迂回路が設けられるなど、最低限のバックアップ機能は備わっていたようです。

この七道を支えていたのは、先ほど少し触れた駅制です。

この駅制、なかなか興味深いものがあります。次回、駅制について解説します。

このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の処女作『古代から現代までを読み解く 通信の日本史』(かざひの文庫)のリンクはこちら

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