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情報通信の革命的な出来事「電信」を知る

電信の発明は、通信と交通を分離した革命的な出来事

今回は久々に、「通信」のお話をします。

長い情報通信の歴史のなかでは、手紙は古代から現代に至るまで情報を伝える手段として続いています。でも、手紙は発信をする人から受け取る人までの距離と時間という物理的な壁を取り除くことができません。

この壁を取り除くために、人類は知恵を絞ってさまざまな開発をしてきました。時間と距離を超えて瞬時に情報を伝える手段として、電信の発明は革命的な出来事だったと言えます。

電信を定義すれば、「文字情報を電気信号に変換して送受信するしくみ」です。この電気に関する発見や発明が相次いだのは、18世紀から19世紀でした。

18世紀にはアメリカのベンジャミン・フランクリンが針金を通して電気を伝えることを発見し、イタリアのアレサンドロ・ボルタはボルタ式乾電池を発明。デンマークのハンス・エルステッドは、電流による磁気作用を発見しました。

電気の伝わる速度が極めて速いことから、 19世紀に入るとこれらの発見や発明を通信に応用するために、さまざまな研究が行われるようになりました。なかでも、アメリカのサミュエル・モールスによる、短く電気を送る短音(トン)と長く送る長音(ツー)の組み合わせでアルファベットを符号化して送信するモールス信号は、とても有名ですね。

たとえば「SOS」とモールス信号を送りたい場合、「トントントン(S)」「ツーツーツー(O)」「トントントン(S)」となります。デジタルの世界はすべての文字や音、 映像までも「0」と「1」での電気信号で表現するので、考え方は同じであると言えるでしょう。

電信が画期的だったのは、何と言っても「情報が物質から分離した」という点です。情報の伝達を、人や物の移動に頼る必要がなくなったのです。つまり、電気通信の実用化によって、通信が交通から独立したのだということです。

日本の「発明家」たちによる、江戸時代の電信の研究

日本では、1849年(嘉永2年)に松代藩の佐久間象山が日本ではじめての電信機を独学でつくり、60メートルの距離の送受信に成功しました。

そして1854年(嘉永7年)に再来したペリー艦隊が、幕府に献上する電信 機の実験を行ったことを契機に、電信機への関心が急速に高まったのです。薩摩 藩の松木弘安(のちの外務卿 寺島宗則)や、「東洋のエジソン」という異名をとった佐賀藩の田中久重らが、より性能の高い電信機をつくりました。

じつは、日本では明治維新を迎える前に外国のハイテク技術を吸収し、多くの電信機の試作品がつくられていたのです。先々西洋からも一目置かれる日本の技術が、この時代に芽吹いていたという事実は注目に値するでしょう。

このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の処女作

『古代から現代までを読み解く 通信の日本史』(かざひの文庫)

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