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国際協調の時代の海底ケーブルを知る

国際協調と同軸ケーブル

コロナ以降、オンラインによる会議が当たり前のようになり、通信網の発展の恩恵を受けていることをつくづく感じます。

そんな通信の歴史を振り返るのも、たまにはいいのではないでしょか。

第二次世界大戦後、かつて海底ケーブルの陸揚げなどを巡って外交問題が起きたことへの反省から、海底ケーブルの設置は各国の通信事業者が共同で行うという方式が主流になりました。

通信の主流が電信から電話へと移るなか、国際間で高品質の電話の利用が可能 になったのは、「同軸ケーブルシステム」というもののおかげでした。同軸ケーブルは、AT&T社が開発したポリエチレン絶縁体などを利用することで実用化されました。この新技術により、電話回線36本の容量でイギリス・アメリカ間を結ぶ第一大西洋ケーブルが設置されたのです。

日本でも、日米を結ぶ新ケーブル設置への期待が高まり、KDDは1957年 (昭和32年)からAT&T社へ太平洋ケーブルの設置を打診しました。

そして、1964年(昭和39年)5月、太平洋横断ケーブル(トランスパシフィッ クケーブル TCP 1)の工事が完了。6月に開通式が行われ、当時の池田勇 人首相とジョンソン大統領がメッセージの交換を行いました。

1964年は、第1回の東京オリンピックが行われた年ということで知られていますが、このTCP 1開通は日本の通信史上とても画期的な出来事だったと言われています。なぜなら、このケーブル1本で当時のKDDが有していた回線数を上回る規模だったからです。

このあと、TCP 1に続く二番目の海底同軸ケーブルである日本海ケーブル(JASC)が、1969年(昭和44年)にグレートノーザン電信会社との共同事業として設置されました。このJASCの開通により、明治初期から岩倉使節団などの電報を運んできた長崎・ウラジオストック間のケーブルは幕を閉じることになります

そして、TCP 1などの既存ケーブルが満杯になってきたことを受けて、太平洋の新ケーブル設置の検討がなされ、1976年(昭和51年)、沖縄を陸揚げ地としてTCP2の利用が日豪間で開始されたのです。

このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の処女作

『古代から現代までを読み解く 通信の日本史』(かざひの文庫)

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