天下分け目の合戦「タラス河畔の戦い」を契機に、紙の製法が中東からヨーロッパへ
後漢王朝時代に蔡倫(さいりん)が発明した紙の製法を、中国は長年秘密にしていたようです。
中国から見て東にある朝鮮や日本には、比較的早い時期に紙のつくり方が広まりましたが、最終的にヨーロッパ全土に紙のつくり方が広まったのは、105 年の発明から約1500年経った17世紀のことでした。
紙のつくり方が世界に西へ広まるきっかけとなったのは、751年の唐王朝とアッバース朝による「タラス河畔の戦い」です。
この戦いで勝利を収めたアッバース朝に捕らえられた捕虜のなかに唐の紙職人がいたことで、製紙法がイスラムに伝わることとなりました。捕らえられた製紙職人たちによって、その後サマルカンド(現在のウズベキスタン付近)にイスラム世界で初の製紙工場がつくられたのです。
そして、バグダッド、ダマスカス、カイロ、フエズといったイスラムの各都市に製紙工場がつくられ、1100年にはモロッコまで伝わったと言われています。
紙はイスラム世界で主要な筆記媒体となり、ヨーロッパへも輸出されました。 1144年には、イベリア半島にヨーロッパ初の製紙工場が造られました。
その後製紙法はヨーロッパ各地に広まります13世紀後半には十字軍によってイタリアで製紙業が盛んになり、フランス・ドイツにも広がり、ルネサンス時代 の15~16世紀には、ほぼヨーロッパ全土に製紙工場がつくられました。
アメリカでも1690年、フィラデルフィアに製紙工場が設立されました。
2世紀はじめに中国で生まれた紙が西欧諸国に広がるのに、1500年以上もかかったのですね。情報の歴史のみならず、世界の歴史から見ても、紙の存在は とても大きなものです。これが世界に広まるきっかけとなった「タラス河畔の戦い」は、「天下分け目」と言えるのではないでしょうか。
同時に、当時の世界の広さ、通信や情報技術の発達によって世界が近くなったことをあらためて感じます。
このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の2作目
『仕事に役立つ、日本人のための情報の世界史』(かざひの文庫)
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