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近代以前の「通信」を知り、現代の便利さを思い出す(2)

国ごとの地理的な特徴に合わせて、さまざまな駅伝制が用いられた

中国における駅伝制は春秋戦国時代にはじまり、秦・漢帝国で発達し、隋・唐 時代に盛んに用いられました。唐王朝時代の駅は、主要な街道にほぼ30里ごとに置かれました。

前王朝の隋の時代の煬帝によって整備された運河を利用し、「水駅」という駅 も配置。運河の建設による民衆の不満が、隋が早く滅びる原因のひとつになったのですが、唐はその遺産を活用することで10世紀初頭まで続く長期政権となったのです。

なお、のちに中国を征服し、ユーラシアに広大な支配権を確立したモンゴル帝国(元)では、ジャムチと呼ばれる駅伝制が発達しました。このジャムチは、20世紀にシベリア鉄道が開通するまで、ユーラシアにおける最速の情報伝達システムであったという説もあります。元の駅伝制については、マルコ=ポーロも『東方見聞録』のなかで伝えています。

古代ヨーロッパでは、共和政ローマの時代には駅伝制が整備されておらず、政務を行う官人も民間人も、自分の召使を派遣するなどして通信しなければなりませんでしたが、のちにアケメネス朝の駅伝制に倣って、「クルスス・プブリクス」という制度が整備されました。

クルスス・プブリクスはラテン語で、和訳すると「公道」を意味するそうです。

ローマの初代皇帝オクタウィアヌス(アウグストゥス)が、イタリアと属州間の役人、メッセージ、税金を移動させるために創設したものです。

このように、近代化する前の通信は、整備された道路や水路といったネットワークを使う形で、人が担っていました。  序章で、文明が興亡を繰り返してきたのが世界史であるというお話をしました が、国の支配が変わるごとに、またその国の地理的な特徴に合わせて、さまざま な駅伝制が用いられてきたのです。

もちろん、狼煙などによる通信も、情報を伝えるための手段として活用されてきました。「遠方にいる相手に情報を伝えたい」「情報を受け取りたい」というニーズは、いまも昔も変わらないのですね。

このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の2作目

『仕事に役立つ、日本人のための情報の世界史』(かざひの文庫)のリンクはこちら

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