元禄、文化文政の江戸文化や寺子屋を支えた、木版印刷による出版物
17世紀末から 世紀冒頭の元禄期、 世紀末から 世紀冒頭の文化・文政期に 象徴される江戸の文化を根底から支えたのが、木版印刷による出版物だったと言えます。
日本の木版印刷は、仏教と結びついて平安時代後期に経典の製作に用いられ、 鎌倉時代、室町時代へとつながっていきました。江戸時代に入って書物が町人に 広まるようになると、数多くの出版業者(版元)が生まれ、『仮名草子』『浮世草子』『草双紙』『黄表紙』といった書物が町人たちの間で流行するようになったの です。(日本の)近世文化の開花を、印刷が支えていたことになりますね。
寺子屋が普及して、読み・書き・算盤ができる人々が増えた結果、チラシ(引札)や新聞(瓦版)、教科書(稽古本)が町中に出回るようになりましたが、こ れも木版印刷が浸透したことと大いに関係があります。
現代に名を残す浮世絵をも輩出した、木版印刷
この時代の木版印刷として、浮世絵は外せません。浮世絵は、江戸初期の元禄時代に墨刷り1色の版画ではじまったのですが、1760年代に鈴木春信が木版を使った多色刷り版画の手法を確立したのをきっかけに完成度を高めて、浮世絵と呼ばれるまでになったのです。
色ごとに絵柄の異なった木版を何枚も彫り、重ね刷りすることで、色彩豊かなカラー刷りの美術作品をたくさん世に送り出せるようになりました。浮世絵の製作は、絵師、彫師、摺師のチームワークがあったからこそ可能だったと言われています。現代に置き換えれば、グラフィックデザイナー、製版業者、印刷業者がチームとなって製作した総合芸術だったと言えるでしょう。
浮世絵は急速に発展し、江戸後期、 世紀末の寛政年間に絶頂期を迎え、天才的な画家も次々と登場。いまも名を残す喜多川歌麿、写楽、葛飾北斎、安藤広重らを輩出した背景に木版印刷があったことは、自明の理です。
メディアとなった印刷物の流通は、近代日本への礎になった
江戸時代の交通、通信の発達とともに、人の往来も増えて、江戸や上方の文化は地方へと広まっていきました。都市部では寺子屋などの教育施設も充実し、識字率も上がっていったのです。この背景には、瓦版や稽古本などが読まれたことも大きかったでしょう。
また、印刷物がメディアとしての性格を濃くしていった時代でもあると言えます。木版印刷による情報流通は、明治時代以降急速に近代化の道を歩む日本にとって 大きな礎となっていったのです。
このコラムの参考文献、弊社代表取締役 玉原輝基の2作目
『仕事に役立つ、日本人のための情報の世界史』(かざひの文庫)
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